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該当件数 18
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1アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(10)-「シエナ会」のプログラムを調査して-」直江学美筆頭著者2023年03月金沢星稜大学 人間科学研究1624148日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)
2アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(9)-デビューに関する記事より-」直江学美筆頭著者2022年09月金沢星稜大学人間科学研究1611722日本語無し研究論文(大学,研究機関紀要)
3「アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(8) -1936年に書かれたサルコリ関連資料を中心に,その2.追悼する人びと-直江学美筆頭著者2020年09月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)141714日本語無し研究論文(大学,研究機関紀要)
4アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(7)ー1936年に書かれたサルコリ関連資料を中心に,その1ー直江学美筆頭著者2020年03月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)1323338日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)
5アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(6)-1933年から1935年のサルコリ関連の資料を中心に-1933年から1935年のサルコリ関連の資料の考察を行った。この期間の資料からは,サルコリが日本の門下生から非常に大切にされていたことを明らかにした。演奏会のプログラムで弟子たちはサルコリの事を「ベル・カントの父」と表現した。弟子たちはサルコリを,日本にこれまで無かった新しい歌い方「ベル・カント」を伝えた「父」として敬い,演奏会を開くことでサルコリなぐさめ,サルコリの功績を世に広めようと奮闘していた様子をまとめた。2019年09月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)1312330日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)
6アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(5)-1931年から1932年のサルコリ関連の資料を中心に-1931年から1932年に書かれたサルコリ関連の資料の考察を行った。サルコリの活動がほとんどみられない一方,弟子の活動が新聞や雑誌により多く取り上げられていることがわかった。この時期の日本音楽界では,東京音楽学校を「上野」と呼び,それ以外を「民間派」とするなど,東京音楽学校とそれ以外という区別がはっきりと意識されていた。このくくりによるとサルコリは「上野」に対する「民間派」である 。自宅を教授の場としたサルコリおよびイタリアオペラを学んでいたサルコリの弟子たちは,日本における西洋音楽受容の中心的役割を担ってきた東京音楽学とは相対する存在であったことを明らかにした。2019年03月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)1225358日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)
7アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(4)-1921年から1930年のサルコリ関連の資料を中心に-1921年から1930年までの資料を考察した。この期間,サルコリ本人よりも弟子が活躍する様子が多くみられた。また,プッチーニやヴェルディなど「イタリア系」の歌を多く歌うサルコリ門下が「イタリア系」と称されるようになったことを指摘した。この時期,サルコリ及び弟子たちは,ドイツ音楽が中心であった,東京音楽学校の「ドイツ系」に対する一つの勢力として見られるようになっていたことを示した。2018年09月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)1215358日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)
8アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(3)1916年から1920年のサルコリ関連の資料を中心に-1916年から1920年までの資料調査からは,サルコリは音楽関係者のみならず,一般人にも広く認識されるようになったことを指摘した。また, 「サルコリー式なる独唱」との記述により,サルコリの歌唱法がそれまでの日本になかった新しい歌い方として認識されていたことを明らかにした。金沢星稜大学人間科学会2018年02月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)1125358日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)
9音楽科教育法に関する研究(1)ー模擬授業に対する「心理的側面」 と「基礎的な能力・知識」との比較よりー直江 学美1913年から1915年までのサルコリ関連の資料を調査した。日本音楽界に「声楽家」として受け入れられたサルコリは,徐々に「指導者」としての活動も行うようになり,1912年に声楽教授希望者を募ったサルコリの下に,多くの弟子が集ったことを記した。サルコリの指導は声楽だけにとどまらず,マンドリンにも及びサルコリが慶應義塾の学生にマンドリンを教えたことをきっかけとして,日本の学生の間にマンドリンが流行した。一方サルコリの「声楽家」としての活動範囲も東京から地方へと広がりをみせた。資料からは,大阪,京都,名古屋でも演奏会を行った記事,及びサルコリの人気が定着したことが伺える記述が複数存在したことから,サルコリの存在が日本に定着した時期と結論付けた。金沢星稜大学人間科学会2017年09月金沢星稜大学人間科学研究1112530日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/028610072
10アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(2)ー1913年から1915年のサルコリ関連の資料を中心にー直江 学美金沢星稜大学人間科学会2017年03月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)1023140日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/028057574
11アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(1)ー1911年,1912年のサルコリ関連の資料を中心にー直江 学美サルコリが来日した1911年から翌1912年に書かれた資料を考察した。サルコリが「声楽家」として日本の新聞や雑誌に多く取り上げられていたことを明らかにし,サルコリは当時の日本音楽界に必要とされ,日本の声楽界における新しい,そして貴重な存在として受け入れられていたことをみつけた。金沢星稜大学人間科学会2016年09月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)1012330日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/027694115
12ルーマニアにおけるアドルフォ・サルコリの演奏活動直江 学美サルコリが来日前に滞在していたルーマニアにおけるサルコリの演奏活動をまとめ,考察をおこなった。調査によりサルコリが共演していた音楽家の名前を明らかにすることが出来たが,共演者はサルコリのオペラ歌手としての力量,そして日本にいながらにしてつながっていたであろう,世界の声楽界とのネットワークを知る上で大変重要な情報である。共演者のいずれもが,地方都市ではなく,ミラノスカラ座やニューヨークのメトロポリタン歌劇場などでの経験を持つ,いわば世界的な活躍をしていたことが判明した。それら世界的な歌手と共演し,オペラの主役を演じていたサルコリは,相応の力量を持つテノール歌手であったことを明らかにした。金沢星稜大学人間科学会2015年09月金沢星稜大学人間科学研究911924日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/027430394
13フィリピンにおけるアドルフォ・サルコリの演奏活動ー1910年末から1911年の新聞記事よりー直江 学美フィリピンでのサルコリの活動に関する新聞記事を元に,サルコリの来日以前の活動の一端をまとめた。サルコリが,Italian Opera Companyの一員としてフィリピンを訪れていたこと,Italian Opera Company は1910年12月11日より1911年1月25日の間に11演目のオペラを上演し,サルコリはそのうち6演目に出演,いずれも主役,もしくは主役級の役を演じていたことを明らかにした。また,これまで,サルコリのレパートリーははっきりしなかったが,今回の調査で,その一部を明らかにすることが出来た。特に,サルコリのレパートリーであるアリアは,浅草オペラで流行した曲であること,浅草オペラの番付表に「ザルコニー」という名前から,浅草オペラとサルコリの関係が推測された。金沢星稜大学人間科学会2014年09月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)811722日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/026599043
14アドルフォ・サルコリの演奏活動についてー海外を中心にー直江 学美サルコリの海外を中心とした演奏活動を明らかにすることを試みた。これまで日本で明らかにはなっていなかったサルコリの海外での活動歴,特にイタリアでの活動歴を明らかにした。サルコリがイタリアにおいて「テノール歌手」として受け入れられていたことを結論付けた。金沢星稜大学人間科学会2012年09月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)612934日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/025122568
15日本におけるベル・カントの父、アドルフォ・サルコリの生涯直江 学美これまで,ほとんど不明であったサルコリについて,特にイタリアでの出生の記録を発見したことによりサルコリのファーストネームが,アドルフォではなくアストロフォであったこと,これまで諸説あった生年月日を明らかにできた。金沢星稜大学人間科学会2011年03月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)424144日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/11142521
16日本の演奏会プログラムより見た西洋声楽受容の一考察直江 学美新しく見つけた,サルコリの遺品を中心に検証を行った。遺品のプログラム発見により,サルコリ自身のレパートリーと来日時に行った日本での演奏曲目,シエナ会の演奏曲目,弟子の三浦環,関屋敏子,井上ケイ子の演奏曲目を一覧にすると同時に,日本の音楽界の中心を担っていた東京音楽学校の「歌唱」に関わる変遷を,時代を追って眺め,比較することを可能とした。金沢星稜大学人間科学会2010年09月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学会)4113-3027日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/11142735
17日本の記事にみられるアドルフォ・サルコリ直江 学美サルコリに関する資料の中でも,日本の新聞記事にしぼり,西洋音楽受容期におけるサルコリの影響の一端を示した。音楽界にもその名前がほとんど残っていなかったサルコリであるが,当時の死亡記事などから,一般にも知られた存在,もしくは一般にも影響のあった人物であったことを示した。金沢星稜大学人間科学会2010年03月『金沢星稜大学人間科学研究』(金沢星稜大学人間科学部)3247-5050日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)1882-4668http://id.ndl.go.jp/bib/11142137
18西洋声楽教育導入期に「民」が果たした役割 : 官立関係者とアドルフォ・サルコリ三井 徹,直江 学美日本に初めて「ベル・カント」という言葉をもたらし、イタリアオペラの数々を持ち込んだとされる民間人サルコリに焦点をあて、官立学校と比較。西洋音楽受容期における、日本の音楽界、特に声楽界における「民」の影響を明らかにした。金沢大学2004年02月『金沢大学教育学部紀要. 人文科学・社会科学編』(金沢大学教育学部)5353pp. 1-1414日本語無し無し研究論文(大学,研究機関紀要)0288-2523http://id.ndl.go.jp/bib/6971758http://hdl.handle.net/2297/474